日々精進……。

「第二グループ、位置について」

 おっと、俺の番か。軽くジャンプ。手足をぶらぶら。今は走ることだけ考えなくては。

「用意」

 日々精進毎日精進……ああっ、よりによってこんな時にひらめくんだ。今は走ることだけ……でもいけそう、日々精進毎日精進……。

「スタート」

 火の用心。

 って、違うだろ!

 自分につっこんだ途端、足がもつれてこけた。情けねー。

「小林〜」

 ぱこっ。マネージャーの辻仁美先輩が俺の頭をノートで軽くたたいた。

「しっかりしなよ。あんた、エース候補なんだから」

 腰に手をあてCカップ(推定)の胸をはる。

日々精進それよりやっぱりCカップ……うわっ、こんなの、短歌会に出せねえよ。

「小林っ、どこ見てんのよっ」

 ぽかっ。今度はものすごく強くたたかれた。

 

 はあ。スランプかな。

 部活からの帰り道、空は見事に晴れていて、真っ白な雲がのん気そうに浮かんでいる。こういうのを短歌にできたら最高なんだけどな。

 五七五七七の三十一文字で表現することを教えてくれたのは、亡くなったじいちゃんだった。歩きながら、いっつも五七五七七になる言葉を探していた。それが魔法の呪文みたいで面白くて、真似したらすごくほめられた。

「まあ坊は才能があるなぁ」

って。それで、俺は短歌を作るようになった。

 町の短歌会に正式に入会したのは一年前。会の人は、俺とあと一人が中学生で、残りの八人は全員七十歳以上だけど、じいちゃんが生きているときに時々遊びに行っていたから、すぐになじむことができた。

会合は第三日曜日の午後。題詠と自由詠一首ずつ提出。会合の時に次の月の分を持っていく。そうすると、会長の山川さんが、詠草という一覧にまとめて郵送してくれる。十人分の歌を次の会までに読んで、好きな歌を三首選ぶ。それが会で集計されて、歌会の最後に三位まで発表になる。残念ながら、俺は三位までに入ったことは一度もないけど。

会合までに歌ができない時は、次の会の二週間前までは待ってくれる。俺は一度も遅れたことなんてなかったけど、五月分がどうしてもできなくてあがいている。山川さんはゴールデンウィーク明けまで待つって言ってくれたけど……はあ。どうしよう。

 指を折りつつ言葉を探していたら、後ろで自転車のベルの音がした。リンリリリリリリ、リンリン。こんな鳴らし方をするやつは一人しかいない。同じクラスの武田喬だ。

「いよーお、若だんな! 今日もいい男で」

 いい男はお前だろ。背は高く、足は長く、鼻は高く、目はすっきり。成績優秀、スポーツ万能、バイオリンまで弾けてしまうという、天が二物も三物も与えた男。ただし、無類の落語マニア。仮入部期間中、落語以外に興味はないからと、毎日職員室に乗りこんで落語をやり、国語教師を顧問に落語研究会を立ち上げてしまった変な男。ゆえに、もてない。天が与えた才能が泣くね、まったく。

「どうした、真晴。しけた顔して」

「どうしたもこうしたも」

 はあ。ため息しか出てこない。

喬はふーんとつぶやいて、俺のカバンをうばいとると、自転車のかごに放りこんだ。

「とりあえず、俺んちで飯食おうぜ」

 喬は自転車をこぎだした。

「ちょっ、俺を忘れてってるぞー

 追いかけながら叫ぶと、

「陸上部なんだから走れー」

 って言って、加速しやがった。

 まったく親友ってのはありがたいね。

 

 喬の家に着くと、ジューッといい音がしていた。このにおいは、焼きそばかな。

 喬の家は親父さんと二人暮しで、家事は喬がやっている。喬は料理がうまい。俺の母親うまいかもしれない。

 いつものように勝手に上がって、ダイニングの扉を開けた。途端に体がこわばる。俺の天敵がいたからだ。隣のクラスの呉竹奈菜。

「よう、呉竹」

 右手をあげ、なんでもないふりをする。

 呉竹は、短歌会もう一人の中学生。俺より半年遅れで入ってきた。でも、最初から俺よりうまかった……わかってる。俺が呉竹を苦手なのは、眼鏡をかけた優等生キャラだからでも、二つに結んだ髪がいい子ちゃんに見えるからでもない。ただの嫉妬だって。

 呉竹は俺に向かって軽く頭を下げると「たっくん、手伝うよ」って立ち上がった。喬と呉竹は幼なじみ。学校では「武田君」「呉竹」って呼び合っているけど、ここでは「たっくん」「奈菜」だ。

「お、来たな。こっちもできたぞ」

 焼きそばが三皿、テーブルに並ぶ。俺は喬の前に座り、呉竹が喬の隣に座る。そして三人同時にいただきますと手を合わせた。

「小林君、短歌、できないんだって?」

 食べながら、呉竹が言った。喬め、しゃべったな……喬をにらむと、喬は口いっぱいに焼きそばをほおばったまま、首を横に振った。

「山川さんから聞いた」

 なるほど、山川さん経由か。

「めずらしいね。どうしたの?」

 答えたくないから、焼きそばに集中する。

 食べ終わってごちそうさま、と、手を合わせた。喬もほぼ同時に食べ終える。呉竹の焼きそばはまだ半分以上残っている。

「俺、真晴の短歌って読んだことない」

 喬はデザートのシュークリームに手をのばしながら言った。

「どんなの?」

 シュークリームをほおばっているから、どんなのが「ほんなの」に聞こえる。

「小林君のは、面白いよ。個性的っていうか……待って。持ってくる」

 呉竹は焼きそばを残し、出て行った。かと思うと間もなく、A4のファイルを持って現れた。はやっ。息を切らしてまで持ってくるようなものじゃないって。

 呉竹はファイルを喬に渡し、水を飲んで一息つくと、ゆっくりと焼きそばを食べ始めた。

喬は詠草をめくる。俺だけ、やることがない。仕方なく、シュークリームに手をのばす。

 突然、喬の爆笑が静けさを打ち破った。

「真晴の歌って、どれも「なんとかな俺」なんだな。『あけおめも一斉メールの今時に芋版をほるアナログな俺』……年賀状のあれは芋版だったんだ。『寒空の下で走るの辛いかなでもチョコもらいほっこりな俺』……だれにもらったんだよ、Cカップの辻先輩か? なんだよ、これ……『土曜日の部活帰りは腹が減るハラペコアオムシ肉食いたい俺』……肉が少なくて悪かったな。おっ、ひらめいた!」

 喬がぽん、とひざをうった。

「小林が作る短歌とかけまして、サッカーのゴール裏と解きます」

「その心は?」

 呉竹、合わせるな!

「オレ、オレ、と盛り上がるでしょう」

「たっくん、うまいっ!」

 うまくねえ! 喬、人をネタにするな。呉竹、笑いすぎだ。くっそー。俺はやけになってシュークリームを二個ほおばった。

 やがて、呉竹がぽつっと言った。

「先人の作った歌を読んでみたら? 温故知新って言うでしょ」

 

 温故知新……昔のことをたずね求めて、そこから新しい見解・知識を得ること(『岩波国語辞典第四版』)……呉竹め、難しい言葉使いやがって。でも、間違ってはいない。陸上だって、他人のフォーム見て、自分のフォームを確認するもんな。

 そんなわけで、俺は姉貴から『万葉集』の参考書を借りた。

 だけど、開いてびっくり。何、これ。最初の歌、長い。それはいいんだけど、

「私はこの大和をおさめるものだから、家も名前も教えなさい」

簡単に言うとそういう歌だった。これって、ナンパの歌だよな。いいのか、文科省。

一つ一つを読む気が失せて、ぱらぱらめくっていたら、「水江の浦島の子を詠める歌」という言葉が目に入った。浦島の子だって。浦島太郎か? まさかね。

ちょっと訳のところを読んでみたら、本当に浦島太郎だった。面白かったので、がんばって原文も音読した(短歌は声に出して読むといいらしい)。俺の知っている浦島太郎とちょっと違う。亀を助けないし、乙姫はとつぜん出てくるし。でも、乙姫が開けてはいけないと言って玉手箱(原文は「くしげ」だ)を渡すのと、戻ったら月日がすごく経っていて、浦島が玉手箱を開けてじじいになるのは同じ。

その次の短歌が、作者である高橋虫麻呂の感想? なのかな。こういう歌だった。

『常世辺に住むべきものを、剣刀己が心から鈍やこの君。』

 ……不老不死の世界にいられたのに、自分の心からとはいえ、おろかだね、この人……って意味らしい。

 そうか? 俺は、乙姫がどうかと思う。開けちゃいけないなんて物を渡すほうが性格悪いって。俺が浦島でも、開けちゃうと思うし。

 なんてことを考えていたら、歌ができた。

『虫麻呂よ「鈍やこの君」は言いすぎだ剣刀己も開けるとぞ思う』

 うれしくって、喬と呉竹にメールした。

 まず、呉竹からメールが届いた。

『万葉集ですね。(にっこりマーク)さて、小林君の歌ですが、口語と文語は一首の中で混ぜちゃだめだって本に書いてありました。無理に枕詞入れるより、小林君らしく歌った方がいいよ。私も同じ題材で詠んでみました。

「浦島が開けば悔し玉くしげなどか賜ふや常世のをとめ」

どうかな?(にっこりマーク)』

 ……呉竹、お前、本当に中学生か? なんで、こんな和歌って感じで詠めるんだよ。

 しばらくどんよりしていたら、喬からもメールがきた。

『あっしならこうでやんすね。

「開けるなと言われりゃ開けたくなるものさ箱も障子も君の心も」

 初めて作ってみたけど、短歌って難しいな。

 ところで、明日、俺の尊敬する今川亭柳楼師匠が落研に来ることになった! 柳楼師匠の弟子のやな坊さんが、顧問の三宅ちゃんと大学の同期で、師匠に口をきいてくれたらしい。得意の「寿限無」で勝負するぜ!』

 いつもなら、『そうか。よかったな。がんばれよ』ってすぐ返信するところだけど、そんな気になれなかった。

 だって……俺、負けてる。初めて作った喬にすら、負けてるなんて。

 悔しくて、ケイタイをふりあげた。でも、たたきつけたら壊れるよな。もったいない。はは、こんな時にまでそんなこと考えるなんて、情けねえの。

 

 翌朝、目が覚めるとすぐにジャージに着がえて走りに出かけた。体を動かして、さっぱりしたかった。

 軽くジョギングで町民グラウンドへ。朝の五時半だからだれもいない。トラックを三周ゆっくり流してから、ダッシュ十本。軽くストレッチをしてまた十本。ジャージの上をぬいでまた十本。その後はもう、めちゃくちゃに走った。風が強い。向かい風に向かって走っていると、まるで風が壁のように感じる。

 あっと足がもつれた。明らかにオーバーワーク。地面に寝転ぶ。気持ちいい。

 俺って体育会系だ。頭より体で勝負。そんな俺が、短歌をやってることの方がおかしいんだ。くそじじいめ。才能があるなんておだてやがって。おかげで道をまちがえたじゃねえか。空に向かってつぶやいた。直接言ってやりたいけど、二年前に天国に行っちゃったから、青空に向かってつぶやくしかない。

 やめちまおう、短歌なんて。ぬいだジャージに手を伸ばし、ポケットからケイタイを出す。山川さんにメール。『俺に短歌無理でした。やめます。今までありがとうございました』後は送信ボタンを押すだけ……でもできなくて、下書き保存。

 なんで、やめられないのかなぁ。向いてないってわかっているのに。

 

 ニュースでは今年のゴールデンウィークは何連休とか騒いでいるけど、俺たち学生はきっちり暦通りに学校へ行かなくちゃいけない。休みと休みにはさまれた日の学校って、かったるい。あくびをかみ殺しながら校門をくぐると、俺の横を自転車が追い越していった。

 あれっ、喬だ。どうしたんだろう。いつもはあのリズムでベルを鳴らしていくのに。

「喬!」

 俺は背中に声をかけた。きゅっと音がして、自転車が止まる。

「……ああ、真晴。いたのか」

 喬はへろっと笑って見せたけど……明らかにおかしい。目が死んでる。

「どうしたんだよ。元気ないな」

「いや、別に」

「別にって顔じゃないだろう。どうした?」

「悪い。一人にしてくれ」

 喬はぼそっと言うと、自転車に乗り、俺から離れていった。

 何だそれ。わけわからねえ。

「そんな寿限無は、やっちゃあいけねえ」

「うわっ」

 驚いた。いきなり、耳元でささやかれたから。振り向くと、呉竹が立っていた。

「……って、柳楼師匠に言われたんだって」

 そうだ、おととい、喬が尊敬している落語家が落研に来るってメールが来たんだった。結局、がんばれって返信、できなかったんだ。なんか、悪いことした気分。俺がメールしたからってどうなったわけじゃないだろうけど。

「私も……ダメだった」

「ダメって何が?」

「出版社の公募に、投稿したの。でも、ダメだった。評価シートが返ってきたんだけど、「平凡でありきたり。個性を出して」だって」

 呉竹がため息をついた。こういう時って、なんて言ったらいいんだろう。どんまい? 次はうまくいくよ?

「あけおめも一斉メールの今時に芋版をほるアナログな俺」

 呉竹はなぜか俺の作った歌を口にした。

「この歌、いいよね」

 そんなことない。投票に入らなかったし。

「あけおめって新しい言葉でしょう。それに対して芋版って古い物……対照的で面白いよね。小林君の歌って、いつもそう。何気ない言葉の中に、面白い発見がいっぱいある」

 そんなことないよ。俺、そんなこと何も考えていない。思いつくままに歌っているだけだよ。言いたいけど、声が出ない。

「私はダメ。つい、無難にまとめちゃう。小林君みたいに冒険できるといいのに」

 力なくほほ笑む呉竹を、抱きしめたいと思った。その気持ちをごまかすために、呉竹にでこぴんをくらわせた。

 

 準備体操、ランニング、ストレッチ。ダッシュ。今日も風が強い。固い壁のようだ。

 あいつらも、感じているのかな。目には見えない、固い壁を。

「すごいよ、小林。自己ベスト更新だよ!」

 辻先輩のはしゃいだ声が、俺の耳の中を素通りしていく。

 今頃、あいつらはどうしているのだろう。喬は、教室でけいこをしているのだろうか。呉竹は、図書室で本をよんでいるのだろうか。……それぞれの、壁を感じながら。その壁は、見えなくて、固い。でも、乗り越えたくて、またはぶち破りたくて、もがいている。

 俺も、喬も、呉竹も。

 ふっと、胸の中に、歌が浮かんだ。

 俺は、走りながら、何度もその歌を頭の中で繰り返す。繰り返しながら考える。この歌の気持ちをあいつらに伝えるには、どこを変えたらいいのかなって。

 ずっと考え続けて、ようやくでき上がった。

『日々精進すれば固い風の壁にひび入れ突破できるはず ファイト!』

その勢いで、兼題の方も作った。

 俺は、下書き保存していたメールを削除し、改めて山川さんにメールを書いた。

『小林です。遅くなりました。今月分です』

 喬と呉竹にも、メールを書いた。

『ようやく、歌、できた。こんなの』

 どうか、二人に、俺の気持ちが伝わりますように。

 

 その後の二日間、喬は学校を休んだ。そして、ゴールデンウィーク後半。部活に行くために家を出た途端、喬からメールが届いた。

『ちょっくら東京に行って、柳楼師匠に会ってくる』

 ちょっくらって……東京って、ちょっくらじゃねえだろう! この町からだと、新幹線の通っている駅まで出るのに一時間、そこから新幹線で一時間半かかる。それに、新幹線代、あるのか? 気になってメールしたら、

『在来線オンリー。始発で出た。今、乗り換え駅。壁をぶちやぶってくるぜ』

 ケイタイを閉じ、空を見上げた。

 ……じいちゃん、俺、短歌やってよかった。

 雲が、じいちゃんの笑顔に見えた。

 

 第三日曜日。歌会当日。俺の歌が投票で三位に入った。初めてのことだ。やったね!

 終わってから、呉竹がそばに近づいてきた。

「実は、小林君の歌に入れたんだ。すごく、勇気、もらったから」

 にこっと呉竹が笑った。どきどきする。今日の呉竹はすごくかわいい。なんでだろう……眼鏡をしていないから? ポニーテールだから? 白いワンピースのせい? 俺、呉竹のこと、好きになったかもしれない。どうしよう。いや、考えるより、まず行動だ。

「あのさ、呉竹……」

 来週、二人で、遊びに行かねえ? と、言いかけた時、入り口に背の高い人影があるのに気がついた。喬だった。喬は俺に気づくとにっと笑った。

「いよーお、若だんな! 今日もいい男で」

 もうすっかり、いつもの喬……いや、さらにパワーアップしている。無理もない。柳楼師匠にもう一度「寿限無」を聞いてもらえた上、高校を卒業したら、弟子にしてくれると言われたんだから。

「たっくん、お待たせ!」

 呉竹がはずんだ声で喬にかけより、そっと喬の右腕に、自分の手をかけた。

「お前ら、まさか……」

「まあ、その、そばにいるヤツが大事だとふいに気づく、なんてえことがございまして」

 喬は頭をかきながら笑った。呉竹はほほを染めている。

「そんなわけで、あっしらはこれからデートでござるよ。じゃあ」

 喬と呉竹は、手をつないで行ってしまった。

 そ、そんなあ!

『ふわふわの白いワンピースは彼のため心ひび割れブロークンハートな俺(字余り)』

                (終わり)

(原稿用紙換算枚数二十枚)

※作中の短歌については、若菜邦彦先生と「じゅんじゅんの会」のみなさまにご指導をいただきました。

 

※参考文献『文法全解 万葉集』大久保廣行著 旺文社

短歌少年

鬼ヶ島通信50+12号入選(2013年12月)

久我 

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