パッ!
はまだ けい
鬼ヶ島通信50+7号鬼の創作道場入選(2011/6/15)
一年生!
つやつやの赤いランドセルをしょっただけで、マイはわくわくしてくる。
マイは、新しいスニーカーをはいて、げんかんを出た。
ドアの外では、六年生のミカちゃんが待っていた。
きのうの入学式にはママとパパといっしょに行った。でも、きょうからは、通学班のみんなで、学校まで歩いて行く。
四月のあいだは、六年生が一年生をむかえに来てくれることになっている。
「行ってきまーす!」
マイは見おくりに出てきたママに、元気に手をふった。
「マイのこと、おねがいね」
ママはミカちゃんにあいさつしてから、マイに手をふりかえした。
「行ってらっしゃい! 気をつけてね」
せの高いミカちゃんとくらべると、なりたて一年生のマイはちっちゃくて、ランドセルがカメのこうらみたいだ。
二人が角を曲がるところまで見おくって、ママは家に入った。
「さあ、おせんたく、おせんたく」
そのとたん。
トゥルルルル、トゥルルルル。
「あら、電話?」
こんな早くにだれかしら。
首をかしげながら、ママは電話に出た。
「もしもし?」
「あ、ママ?」
パパだ。会社にむかっているはずのパパからだ。
「あら、パパ」
「マイは、行ったかい?」
「ええ、ちゃんと行ったわよ」
「だいじょうぶかな?」
「どうかしたの?」
「あ……いや、なんでもない」
ごにょごにょと言いながら、パパは電話を切ったらしい。ツーツーツーという音だけが、聞こえてくる。
「へんなパパ。あ、せんたく、せんたく」
ママはかたをすくめると、受話器をもどしてパタパタとせんたくをしに行った。
会社についたパパは、ため息のつきっぱなしだ。
「ほんとに、だいじょうぶなのかな」
ママはのんきだからな。
考え出すと、止まらない。会社にいるけれど、仕事なんてしていられない。
「ああ、心配だ、心配だ」
気持ちが落ち着かない。じっとしていられなくなって、パパは立ち上がった。
「心配だ、心配だ。マイはだいじょうぶなのかな」
じっとしていられないから、ついつい歩き出してしまう。ブツブツ言いながらウロウロしているから、どう見たって、へんだ。
「どうしたんですか、岩井さん」
声をかけたのは、となりの席の沢田さんだ。
ふり向いたパパの顔に、沢田さんはハッとした。まだ朝なのに、一日仕事をしたあとよりも、つかれきった顔になっている。
「い、岩井さん、なにがあったんですか?」
「ああ」
マイのパパは、ぼんやりと沢田さんの顔を見た。おそるおそる、沢田さんはきいた。
「あの、なにが、心配なんですか?」
そのとたん、パパの目に光がもどった。ちよっとあやしい光だ。
「心配っていえば、マイのことに決まってるだろ」
「は、はあ」
あいまいにうなずく沢田さんに、パパは自分のつくえの上から写真立てをとって、つきつけた。
「マイだ」
「はい」
このあいだまで卒園式の写真だったのが、今は入学式の写真にかわっている。白いえりのついたこん色のワンピースは、色白のマイちゃんにとてもよくにあっている。
「小学生になった」
「ご入学、おめでとうございます」
おめでとうは言ってあったけれど、もう一度言ってもいいだろう。どちらにしろ、沢田さんのおいわいの言葉なんて、パパの耳にはとどかなかったみたいだ。パパは、大きなため息のつきっぱなしだったから。
「ああ、心配だ、心配だ」
パパはブツブツ言い続けている。
「なにが心配なんです?」
「何もかもだよ」
パパは、また、グルグル歩き始めた。
「通学路だって、心配だし、学校だって、心配だ。マイはかわいいからな。いじめられないだろうか、勉強についていけるだろうか、先生は、やさしいだろうか」
「だいじょうぶですよ」
半分あきれながら、沢田さんは言った。
「マイちゃん、しっかりしてるんでしよ。岩井さん、いつも言ってるじゃないですか」
「ようち園ではしっかりしてたさ。でも、小学校は初めてだ。知らない子だって、たくさんいるし」
「はあ」
パパのグルグル歩きが早くなる。見ている沢田さんは、目が回りそうだ。
「ああ、マイ! マイのところに行きたい!」
パパがそうさけんだとたん。
パッ!
「岩井さん?」
沢田さんの目は、まん丸になった。
マイのパパが、パッと消えてしまったのだ。
沢田さんは、マイのパパをさがした。ぐるっと部屋を見回したけれど、見当たらない。心配しすぎてたおれちゃったのかもしれないと、つくえの下まで見たけれど、どこにもいない。
「岩井さん? 消えた?」
そのころマイは、教室の自分の席で、先生のお話を聞いていた。きょうの勉強は、ともだちの作り方だ。
「まず、相手の名前をおぼえることが、たいせつです」
田中先生は、
「なまえをおぼえる」
と、黒板に書いた。
マイも、ほかのみんなも、うんうんとうなずく。
「つぎにたいせつなのは」
そう言いかけて、先生の顔が動かなくなった。教室の中もざわざわっとする。
だって、田中先生のとなりに、スーツの男の人が、立っているんだもの。
一番びっくりしたのは、マイだ。だって、その男の人は、マイのパパなんだもの。
「パッ!」
マイがよびかけると、パパの目はまん丸、口もまん丸になった。
「マ、マイ?」
そのとたん、パッと、パパはいなくなった。
「パパ?」
こんどは、マイの目がまん丸だ。マイだけじゃない。教室じゅうのみんなが、口をポカンとあけている。
田中先生の顔が、やっと動いた。先生は、つぶやいた。
「つかれているのかしら、あたし」
そのころ、マイのパパもつぶやいていた。
「今のはなんだ? なんでマイがいたんだ?」
パパは、きょろきょろとあたりを見回した。ここは会社だ。小学生のマイが、いるはずがない。
「岩井さん?」
沢田さんの声だ。
「どうかしたんですか?」
パパはあわてて首をふった。
「いや、なんでもないよ」
マイのまぼろしが見えたなんて言ったら、ねぼけていると思われるに決まっている。
「さあ、仕事だ、仕事」
むりやり元気な声を出して、いつも通りパソコンに向かうパパを見て、沢田さんは首をふった。
「そうだよな。岩井さんが消えるはず、ないよな」
沢田さんはため息をついた。
「つかれてるんだな、おれ」
ビンポン、ピンポーン。
げんかんのチャイムがなった。ママは、時計を見た。
「マイだわ」
いそいでげんかんに行く。
「ママ、ママ」
ドアの外で、声がする。やっぱり、マイだ。
ママはドアをあけた。
「おかえ」
りなさいと、ママが言い終わるのもまたないで、マイはどなった。
「ひどいよ、パパ。あたし、すっごくはずかしかったんだから」
おこっている。マイは、ものすごくおこっている。顔がまっかだ。
「どうしたの?」
マイのこんな顔、ママだって、見るのは初めてだ。ママはわりあいのんきなほうだけれど、こんなマイを見たら、とてもおちついてはいられない。
「とにかく、おうちに入りましょう」
コクンとうなずいたマイを中に入れると、ママはドアをしめた。
マイは、ランドセルをドンとテーブルに置くと、グンと頭をふった。
「ひどいんだよ、パパ」
「パパがどうかしたの?」
なにがあったのかしら。ママは心配ではちきれそうだ。
「教室にかってに入ってきて、なにも言わないで、すぐにいなくなっちゃったの。へんなパパだって、みんなにわらわれちゃったよ」
マイは、なきそうだ。
「でも、きょうは仕事の日よ。パパは会社にいるはずよ」
「ほんとにパパだったよ。ミカちゃんにも、マイちゃんのパパだって言われたもん」
ママは、朝かかってきた、パパからの短い電話のことを思い出した。
なんかへんだったわ、パパ。どうかしたのかしら。だいじょうぶかしら。
ママは考えこんだ。
パパ、マイのこと、とっても心配していた。仕事に行くって言っていたけど、本当は学校にマイのこと、見に行っちゃってたのかしら。マイのこと、すごく心配しているもの。
でも、いくら心配だからって、会社をさぼってマイを見に行っちゃうなんて。
「マイを見に行ったあと、ちゃんと、会社に行ったのかしら」
ママは、どんどん心配になってきた。
「だいじょうぶかしら。ちゃんと、お仕事できているのかしら。お仕事で失敗していたら、どうしよう!」
ママは、気になって気になって、じっとしていられなくなった。いつのまにか、ママは、ウロウロと行ったり来たりし始めた。
「ママ?」
マイのぎょっとした顔も、目に入らない。
「心配だわ、心配だわ」
ママは、ブツブツとくりかえした。
「パパ、どこにいるのかしら。ちゃんと、会社で仕事しているのかしら。心配だわ。見に行けたらいいのに。ああ、パパのところに行きたい!」
パッ!
「ママ?」
ママには、マイの声が聞こえなかった。
ママの目の前にいたのは、パパだ。
「ああ、よかった。ちゃんと仕事してるわ」
ママはほっとしたけれど、パパのほうはびっくりだ。
「ママ、なんで会社に?」
「えっ?」
ママはきょろきょろとまわりを見回した。
「ここ、どこ? 会社?」
そのとたん、
パッ!
ママは見えなくなった。
「いない?」
沢田さんは、びっくりしてパパのほうを見た。目をまん丸にしていたパパは、沢田さんと目が合うと、あわてて言った。
「さーあ、仕事、仕事」
パパはパソコンに向かって、ものすごいいきおいで、キーをたたき始めた。ずーっとそうしていたみたいに。
沢田さんは、目をこすった。
「ちょっと、つかれてるんだな、おれ」
そのころ、マイも目をこすっていた。
いっしゅん、ママが見えなくなったような気がしたからだ。
もちろん、ママはさっきのとおり、目の前にいる。
ママはつぶやいた。
「パパが」
「パパ?」
「ううん、なんでもない」
ママは、あわてて手をふった。
「おなかすいたでしょ」
「うん」
「ごはんにするから、手をあらってらっしゃい」
「うん」
マイは、おなかがすいていることを思い出した。そして、だいすきなオムライスを食べているうちに、ママがパッと消えたみたいだったことをすっかりわすれた。
マイが思い出したのは、次の日、学校で自分の席についてからだ。
きのうと同じように先生が話をしているのを見ていたら、パパのことを思い出した。ママが、パッと消えたみたいだったことも。
パッとあらわれてパッと消えたパパは、夜になったら、ちゃんと会社から帰ってきた。
パッと消えてパッともどってきたみたいだったママは、そのままずっとうちにいた。
あれは、マイの気のせい? 本当に? でもし、本当にママが消えちゃったら、どうしよう。ママ、ちゃんとうちにいるのかな。ぜったいにいるよね? ママ? ママ!
パッ!
ぐらっと体がゆれたかと思ったら、マイの目の前にはママが立っていた。
「ママ?」
ああ、よかった。ママはちゃんといる。
でも、なんだかいつもとちがう。目がまん丸だけど、見てるのはマイじゃない。ママが見ているのは。
「パパ?」
マイの目も、まん丸になった。
パパだ。会社に行くときのかっこうで、目をまん丸にして、マイを見ている。
「マイ?」
パパの声で、ママもマイに気がついた。
「マイ?」
三人の声がそろった。
「どうして、ここにいるの?」
そのとたん。
「まったく、おまえって子は!」
大きな声が、リビングいっぱいにひびいた。
「おばあちゃん?」
リビングの真ん中に、おばあちゃんが立っていた。パパのママのミズホおばあちゃんだ。
「おばあちゃん!」
おばあちゃんは、きびしい目で三人の顔をじゅんばんに見た。そして、こしに手を当てて、パパをにらみつけた。
「まったく、おまえって子は」
おばあちゃんは、どなりつけた。
「気をつけなさいって、あんなに言っておいたのに」
パパは、口をパクパクするばかりで、声が出ない。
「ほんとに、やっかいなところばかり、おとうさんににちゃうんだから。心配しすぎたら、飛んでっちゃうたちなんだよ。おまえのおとうんもそうだった。しかも、おまえのはうつるみたいじゃないか。マイはともかく、ママさんまで飛んじゃうなんて。おや、二人だけじゃないね」
おばあちゃんは、パパの後ろを見た。そこにいたのは、沢田さんだ。目も口もまん丸でピクリとも動かない。
「すみませんねえ、よそさまのことまでまきこんじゃって」
おばあちゃんは、ていねいな言葉づかいになって、沢田さんに頭を下げた。
「もうだいじょうぶですから、どうぞお引き取りください」
沢田さんは、カクカクとうなずきながら、消えていった。
沢田さんは、自分の席でため息をつきながら、ブツブツとつぶやいた。
「やっぱり、つかれているんだ、おれ」
そのころ、おばあちゃんもブツブツ言っていた。
「やれやれ、これで一人へったよ」
おばあちゃんは、パパ、ママ、そしてマイの顔に目をやった。そして、もう一度パパを見ると、きびしい顔で言った。
「いいかい、これからはあんまり心配しすぎるんじゃないよ。そうでないと」
おばあちゃんが、そこまで言ったときだ。
「し〜ん〜ぱ〜い〜だ〜」
どこからか、ひくい声が聞こえてきた。
「ミズホがいないー、ミズホはどこだぁ。心配だぁ、ああ、心配だぁ」
「あら、まあ!」
おばあちゃんは、したうちをした。
「気づかれちゃったよ」
パッと、おばあちゃんはいなくなった。
のこされた三人は、顔を見合わせた。
ママの顔は、まっ青だ。ママは、のろのろと言った。
「おかあさん、きょねん、なくなったわよね」
パパも、青ざめた顔で言った。
「あの声、おとうさんだ」
「あ!」
さけんだとたん、マイとパパは、ぐいぐいいっと引っぱられた。
マイは、学校の自分の席にいた。先生も、クラスのみんなも、目をまん丸にしてマイを見ている。
パパは、会社の自分の席にいた。沢田さんも、ほかの人たちも、目をまん丸にして、パパを見ている。
「ほんとに、つかれてるんだ、おれ」
沢田さんが、つぶやいた。
それからというもの、パパもママもマイも、あまり心配しすぎないように、気をつけることにした。
おばあちゃんやおじいちゃんのことはだいすきだけど、会うかくごのほうは、まだまだできていないからだ。
だから、沢田さんがときどきパッと見えなくなっても、田中先生がパッとリビングにあらわれても、パパもママもマイも、気がつかないふりをすることにしている。