「ねこのくつや」                     小宮山 恭子

              鬼ヶ島通信50+7号鬼の創作道場入選(2011/6/15)

            

 朝ごはんのときです。
「歩きやすいくつが、ほしいなあ」
 おみそ汁を一口すするなり、おじいちゃんが言いました。
 ゆうべも言ってたっけ、そう思ったけど、サトコは黙っていました。
「運動ぐつ、買ったばかりじゃない」
たしなめるように、お母さんが言いました。
「あれか、あれなあ、ちょっと小指があたるんだなあ」
「買ったときは気づかないこともありますからね」
 新聞をたたみながら、お父さんが言います。
「だんだんなれるわよ」
 お母さんは取り合わないのです。
 そのはずです。
「歩きやすいくつがほしいなあ」
は、このところのおじいちゃんの口癖なのでした。
「最近のくつはどうも足にあわんよ。昔のくつは良かったなあ。どこまで歩いたって、決して疲れなかった」
「くつのせいじゃないでしょ、おとうさん」
 小さな娘の目になって、お母さんはおじいちゃんをやさしくなだめます。
「あしが弱ってきたのよ」
「そんなことはないよ」
 おじいちゃんはおだやかに答えます。でも、いつもけっして、そうかなあ、などとは言わないのでした。

サトコのうちは、お父さんとお母さんとサトコ、そして、お母さんのおとうさんのおじいちゃんの四人家族。
小さいときから、サトコがうちに帰ると「おかえり」を言ってくれるのはおじいちゃんの役目でした。お母さんは栄養士さんの仕事をしていて、昼間はいないからです。
毎週水曜日にサトコがピアノのレッスンに行く時は、いつもおじいちゃんが送ってくれます。年中さんのときからですから、もう丸五年になります。
おじいちゃんとの、こののんびりとした散歩が、サトコはすきでした。
「サトコも年のせいだと思うかい」
 その日、川ぞいの冬枯れた桜並木の下を歩きながら、おじいちゃんはサトコにたずねました。
「ううん」
 サトコは、かぶりをふりました。
「くつのせいよ」
「そうだよ、そうだよな」
「ねえ、きょうのおはなしは」
 サトコは、おじいちゃんを見上げました。
「おはなしか、そうだなあ」
散歩の途中、おじいちゃんはいつもすてきなおはなしをきかせてくれます。
 昔読んだ本の話だったり、自分の小さい頃の話だったり。ときには、おじいちゃんが自分で作ったお話だったりすることもありました。
おじいちゃんは、しばらくだまって歩いていましたが、
「うん、こんなのはどうだい」
サトコのはずれかけたマフラーを掛けなおしてやりながら、おじいちゃんはゆったりと話し始めました。
「この町のどこかに、ねこのくつやがあるんだ。そこに頼めば、たいそうはきやすいくつを作ってくれるんだそうだ。へいの上だろうと、屋根の上だろうと軽々歩けるくつさ。町じゅうのねこはみんなそのくつやでくつをかうんだ」
「だから、どこでも歩けちゃうのね」
サトコはおじいちゃんを見上げ、眼を輝かせました。
「ねこって、前足と後ろ足、四つくつをはくの?」
「後ろ足だけさ。前足は顔を洗うのにとっておかなくちゃ」
「そうかあ。サトコほしいなあ、そんなくつ。」
「おじいちゃんもさ」
 おじいちゃんは、サトコに笑いかけました。
「でも、いくらさがしても、みつからないんだ。いくらさがしても」
 おじいちゃんが、夢見るようにつぶやいた、そのときです。
ふいに、おじいちゃんのからだがまえのめりになりました。
「あぶない」
 誰かがさけんだのがきこえました。
 周りを歩いていた人がかけよってきました。誰かが携帯電話で、救急車をよぶのがきこえました。

おじいちゃんは、幸いねんざですみました。
 翌朝、朝ごはんの時間に、おじいちゃんは部屋から出てきませんでした。
サトコは、おじいちゃんの部屋のふすまをそっとあけました。
おじいちゃんは上を向いて目をつむっていました。四角いしょうじの白さだけが、明るく見えました。
「おじいちゃん、いってきます」
 サトコが小さな声でそういうと、ふとんのヘリからおじいちゃんはこちらを向きました。
「ああ、いっておいで」
と、しゃがれた声で、いいました。  
そして、
「あんな小石につまずくなんて、やっぱり、としだな」
 照れたように、わらいました。
 その顔が、なきべそをかいているようにも見えて、サトコはどきんと、しました。
 
ねこのくつやのくつがほしい。
 学校への道を歩きながら、サトコは、思いました。
 ねこのくつやであつらえたくつをはいて思うさま歩けば、おじいちゃんはきっと、前のように元気になるでしょう。
 もちろん、おじいちゃんのおはなしは、ただの作り話かもしれません。でも、ほんとうにあったらどんなにいいか。
 そう思えば思うほど、サトコはこの町のどこかに、ほんとうに、ねこのくつやがあるような気がして、ならなくなったのです。
 さがしても、さがしても、みつからない、ねこのくつや。
 あるのかもしれない、ないのかもしれない。
 でも、いっしょうけんめいさがせば、もしかしたら・・。
 その日からサトコの、探検が始まりました。
 ほうかご、ゆかちゃんや、かおりちゃんのさそいをことわって、町の路地を歩いて回るのです。
 いつも行く大通りの本屋さんのかどをまがって、お肉屋さんの路地を入って、花屋さんと文具屋さんの間の小道を通って・・・。
 サトコは、お小遣いを入れたお財布と、スーパーマーケットで買ったカツオブシをピアノバッグに入れて、もって歩きました。
いつ、ねこのくつやをみつけてもいいように。
「ねこのくつや。ねこのくつや、いったいどこにあるの」
 大通りにあるとはおもえませんでした。
 ねこのくつやがあるのは、ひっそりとして、でもぽかぽかと日あたりのいい、きっと植木鉢がたくさん置いてある、路地の奥だと、サトコは思っていました。
 なかなか、そういう路地ってないものです。
 おじいちゃんがけがをして一週間目の水曜日、学校から帰ってくると、おじいちゃんは居間でテレビを見ていました。
「おじいちゃん、ピアノの時間だよ」
「わるいけど、ひとりでいってくれないか。おじいちゃん、立てそうにないんだよ」
 あれいらい、おじいちゃんは外に出ることをおっくうがるようになりました。
公民館でやっている、趣味の囲碁クラブにも行かず、ひるまからこたつで、ぼんやりテレビを見ているようになったのです。
「気力の問題だって、お医者様は言うの」
 お母さんがため息をついていましたっけ。
その日、サトコは、はじめて一人でピアノ教室に行きました。
レッスンが終わると、サトコの足は家とは反対のほう、駅のほうへ向かっていました。
「今日はもっと、遠くへ行ってみよう」
自転車屋さんの角を曲がって、美容院の路地を入って、自転車置き場をくるっと回って、ビルの地下階段を下って、上って・・。
どれくらい歩きまわったでしょう。
からからとサトコの目の前を、街路樹の落ち葉が舞っていきました。とてもきれいな、赤でした。
サトコは、思わず、追いかけました。
「つかまえた」
と、サトコが思ったとたん、また、落ち葉は、ひょいっと、風に舞って飛んでゆきました。
「こら、まて」
 落ち葉は、レンガのビルの角を曲がって、路地のおくにとんでゆきます。
 まるで、サトコの先に立って進んででもいるかのように。
「まて、まて」
 落ち葉がまた角を曲がりました。
 サトコが後をついて角を曲がり、顔をあげたときです。
 古い棟続きの長屋の間に、一軒だけ、白い壁の家が見えました。
 長靴の形をした、看板がさがっています。
 ちょうど、サトコの目線の辺り、お店の看板にしては、ずいぶん低い位置にあります。
(くつの注文、修理、承ります。ねこや)
 茶色い板に、赤い文字で、そう、書いてありました。
「これでは、おじいちゃんがさがしてもみつからないわ」
 サトコは、思いました。
 こどもやねこにとってはちょうどいい高さの看板でしょうけど、オトナの眼にははいらないはずです。
 おひさまの光にてらされて、白いしっくい壁がぽかぽかときもちよさそうです。水色のよろい戸の開いた小窓の下には、赤いベンチが置いてあります。ベンチの横に、植木鉢がいくつも、並んでいました。白や黄色や紫のパンジーの花が、いっせいにこちらを向いています。
 古びた白い木のドアの前に立つと、サトコは声を掛けました。
「ごめんください」
 返事がありません。
 ドアノブをそっとまわして一歩中に入ると、そこは、板張りの床の、明るい部屋です。
 ちょっきんちょっきん
 ちくちく、とんとん
窓辺の作業台に向かっていたのは、一匹の、黒とらねこでした。
 汚れたデニム地の前掛けを掛け、明るい窓辺で、まだスタンドの電気で手元を照らし、はさみをうごかし、糸で縫い、張り合わせ、いっしんに手元をうごかしています。
 かべのたなには、赤い靴、水色の靴、白い靴・・たくさんの、ちいさなくつがならんでいます。そう、ちょうど赤ちゃんがはじめてはくくらいの。
「あのう、くつを作ってもらえますか」
 声がちいさかったのか、きこえないようです。しかたなくサトコは、
「くつをつくってもらえませんか」
と、もう少し大きな声で言ってみました。
 ようやく黒とらねこは、チラッと顔を上げました。
「わるいが、うちはねこのくつや。人間のくつは作らないんだ」
そういうと、また、手元に目を戻しました。
「お願いします。おじいちゃんのくつを、つくってください」
「だめだめ。さあ、帰った。帰った」
 ちょっきんちょっきん、
ちくちく とんとん
「ここのくつをはくと、足が軽くなって、どんなところだって歩けるんだって聞きました。へいの上も、屋根の上も。こんなくつやさんはほかにはないんですって。世界一のくつ屋さんだって、おじいちゃんが言ってました」
 サトコは、いっしょうけんめい言いました。
 何とかねこをいい気持ちにして、くつをつくって欲しかったのです。
 ちょっきんちょ・・・
「まあねえ。おれが世界一ってのは、うそじゃないけどね」
 はさみをもつ手をとめて、黒とらねこは鼻をうごめかしました。
「おねがいです。おこづかい、全部持ってきました。カツオブシも、あります」
「わかったわかったよ」
 黒とらねこは、やれやれ、というように言いました。
「このくつをあげよう」
 サトコの方へむきなおり、白い、小さなくつをつまんで差し出しました。サトコのてのひらにのるほどの、くつです。つやつやした皮でできた、ひもぐつです。なんともいえない、うつくしいくつでした。
「最近たのまれて作ったやつだ。子どもが三匹うまれるからってかあさんねこにたのまれてね。だけど、そのうち一匹がお産で死んじまってね。かえしてきたんだよ」
「でも、大きさが」
「おれは、世界一のくつやだぜ」
 黒とらねこはじれったそうにいいました。
「こうするんだ。くつをわたすとき、まずあんたのじいさまに眼をとじるようにいう。それからくつをじいさまの前に置くんだ。次にじいさまが眼をあけたとき、くつはじいさまにぴったりになってるから」
「ほんとうですか」
「うそだとおもうなら、おいていきな」
「うそだなんて、おもいません」
 サトコはおもわず、くつをだきしめました。
「返品なんで、代金はいらないよ。あ、そのカツオブシだけはおいていってもらおうか。」
「ありがとうございます」
作業台のすみっこにカツオブシを置いて、サトコがドアをでようとすると、
「ちょっとおまち」
黒とらねこは呼び止めました。
「それはねこのくつだからね。水にはぬれないよう、気をつけとくれよ。ちょっとした雨くらいならいいけどね。北極ねずみの、上等の皮を使ってるからね。いちど水にぬらすと、はけることははけるが、それまでのように軽々とってわけには、いかなくなるからね。ねこにだったらまた新しいのを作ってやるけど、人間にはね。これはさいしょでさいご。」
「わかりました」
「ここで買ったこともないしょだよ。あとからあとから、人間がやってきたら困るから」
「はい、決していいません」
  店のドアを空けると、空はもう夕焼け色でした。足元に、さっきの赤い落ち葉が落ちています。
サトコが一歩表へ出ると、落ち葉はあわてたように、どこへともなく飛び去っていきました。
 
 家に帰ってみると、おじいちゃんは、居間のこたつで、うつらうつら、していました。
「おじいちゃん、おきて、おきて」
 サトコは、おじいちゃんをゆりおこしました。
「おお、サトコ、おかえり」
「おじいちゃんにプレゼントがあるの。早く来て」
「プレゼント」
「そうだよ、いいもの」
「おいおい、いったいなんだい」
ねぼけまなこのおじいちゃんを玄関に引っ張ってくると、サトコはいいました。
「目をつむって・・・まだまだ」
 そして、後ろ手にもっていた、小さなくつを、おじいちゃんの前に置きました。
「はい、目をあけていいよ」
 ねこのくつやのいったとおりになりました。
 玄関のたたきには、新品の白い運動靴があったのです。
「はいてみて」
「いいのかい」
 あがりがまちにこしをおろすと、おじいちゃんは、くつに足を入れました。右足、左足・・・そして、ゆっくりたちあがりました。
「どう?」
 わくわくとサトコがたずねると、
「あつらえたみたいだ。ぴったりだよ」
 おじいちゃんは目をまるくして、サトコとくつをかわるがわるみつめました。
「こりゃいい。こんなはきやすいくつは、ひさしぶりだ」
 おじいちゃんは玄関のたたきで、とんとん、と、くつをならしてみせました。
「どうしたんだい、これ」
なんて、聞くので、サトコはあわてて、
「閉店セールやってたの。今日で閉店だってすごく安かったの。でも、もう、ないの。路地裏のちっちゃなお店よ。そこが工場で、そこでつくっていたんだって。」
 うそはいけないとわかっていたけれど、ねこのくつやとのやくそくです。サトコはいっしょうけんめい、いいわけしました。
「そうか、そんないい店があったのか」
 おじいちゃんは、にこにこと、うなずきました。
 そして、自分に言い聞かせるように、いったのです。
「ねこのくつやなんて、ありゃしないよな。やっぱりにんげんのくつやがいちばんだ」
 サトコはどきんとしました。
 おじいちゃんは、うきうきと、いいました。
「明日の朝いちばん、さんぽにいくぞ。サトコいっしょにくるかい」
 おじいちゃん、ねこのくつやは、ほんとうにあったのよ。世界一なのは、ねこのくつやよ、おじいちゃんが話してくれたとおり。
 そういいたいのを、サトコは、ぐっとこらえたのです。
 
 翌朝早く、サトコはおじいちゃんといっしょにさんぽにでかけました。
 冬の朝は冷え込んで、吐く息も真っ白です。
でも、おじいちゃんは、そんなこと全然気にならないみたい。
 おかしいのです。
 おじいちゃんときたら、車道と歩道の境目の、「縁石」の上を歩いています。
 いつも、サトコが上りたがると、
「ああ、あぶない、あぶない」
と言って、歩かせてくれないのに。
 ジョギングしている男の人が、にこにこしながらふたりをおいこしてゆきます。
 おまけに、公園のわきを通りかかると、
「サトコ、ジャングルジム、しようか」
なんて、聞くのです。
「気がつくと、体が動いているんだよ」
ジャングルジムのてっぺんから、おじいちゃんはサトコにわらいかけました。目をキラキラさせて、まるで、小さな子供みたい。
 いつもの川べりの道を歩きながら、サトコはいいました。
「よかったねえ。いいくつで」
「サトコのおかげさ。あとで、おこづかい、あげるからね」
「いらない。だってそのくつ・・」
 ねこのくつやにもらったんだから、と、サトコの口から出てきそうになったとき。
 ふいにおじいちゃんが立ち止りました。
「おじいちゃん?」
 おじいちゃんの目は、川上の方をじっと見ています。
 小さな段ボール箱がながれてくるのです。
「サトコ、おじいちゃん、ちょっといってくる」
 いうなり、おじいちゃんは、土手を駆け下りました。
 その身軽なこと。
 とぷん、とぷん、ダンボールは目の前をゆっくりゆっくり、流れていきます。水がしみていて、いまにもしずみそうです。
「おじいちゃん」
 サトコは思わず叫びました。
 おじいちゃんは、ざぶざぶと、冷たい水の中に入っていってしまったのですから。
 流れもゆるやかで、夏には子供たちが水遊びをするような川ですから、オトナがおぼれるようなことはめったにないでしょう。でも、ひざまでは水につかってしまいました。もちろん大切なくつも・・・。
 おじいちゃんは、段ボール箱を抱えてもどってきました。
「おじいちゃん、くつ、くつが」
「サトコ、みてごらん」
 おじいちゃんがダンボールをあけると、どうでしょう。
白に、灰色のぶちのある子ねこが一匹、目をぱちくりさせていたのです。
「どうしても、この箱を引き上げなきゃならない気がしたんだよ。どうしてもね」
 おじいちゃんは、笑いました。
 
 おじいちゃんは、それからすっかり元気になりました。
「気力がもどったみたいね」
 うれしそうに、お母さんはいいます。
 ねこのくつやのくつは、どうなったかって。
 ちゃんと乾かして、おじいちゃんはサトコとの散歩のとき、いつもそのくつをはいています。
 ただ、縁石に上ったり、ジャングルジムに登ったりはしません。やっぱりくつが水にぬれたせいだろうと、サトコは思っています。
もしかしたら修理をしてもらえるかと思って、だいたいの見当でねこのくつやをさがしてみました。
が、どんなにさがしても見つからないのです。
 とうとう、サトコはあきらめました。
 でも、いいのです。サトコの家に、すてきな家族が増えたのですから。
おじいちゃんが川から助けた子猫です。
 名前を、モモコとつけました。桃太郎みたいに、川上から流れてきたからですって。
 サトコが学校から帰ってくると、おじいちゃんとモモコが、お帰り、を言ってくれるようになりました。

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